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2022年4月11日月曜日

統合失調症からどのようにして回復したのか 7

§ご挨拶

みなさん、こんにちは!aoponです。
今日は統合失調症からどのようにし回復したのか7(9まで続きます)を書こうと思います。
前の記事はこちらです。

§A病院のデイケアの後の就労について

A病院のデイケアに通った後、私はハローワークをA病院のデイケアから紹介してもらい、そのハローワークを通じて就職活動をしました。

確か、5,6社ぐらいに書類を郵送で提出して、2,3社ぐらいから面接に呼ばれました。

そのうちの一つの仕事は駅の中での荷物運びでした。これは体の運動になって体にはいい面もありますが、私は頭を使った仕事の方がしたかったので、やめることにしました。

もう一つは都庁での公務員のアルバイトのようなものでしたが、ここでは来るだけで何もしなくていいと言われました。私は仕事がしたかったので、ここも断ることにしました。

最後の一つが以前初めて働くことになった職場で、女性と男性の人事の方に面談してもらいました。男性の人事の方にどのような人間になりたいですか?と聞かれ、「同じような病気を持っている人を引っ張り上げられるような人になりたいです。」というようなことを答えたのを覚えています。

この職場に決めた決め手は給料(時給)が良かったのと、トイレがきれいだったからです。

2013年当時で時給が1100円ぐらいだったと思います。

§初めての仕事について

初めての仕事では人事部でデータ分析の業務を行いました。

人事部の持っている社員の適性検査の結果と、社員それぞれのパフォーマンスや体調不良等との関係を分析しました。

もう10年近く前のことなので、詳しい結果は忘れてしましましたが、適性検査の中のある因子とうつ病との相関関係があったり、パフォーマンスと複数因子の相関関係があったように記憶しています。

その分析結果を人事部の部長に提出したところ、社長から褒められたというような成果がありました。

そのような成果や日々の仕事への前向きな取り組みもあり、アルバイトで入社しましたが、正社員として改めて採用されることになりました。

正社員として改めて採用された後も同じような分析業務を行いましたが、それと並行して人事の仕事として新卒採用の仕事も行うことになりました。

当時はコロナがまだ流行っていなかったので、各大学に直接出向いて、食堂などで直接学生さんに声をかけるという仕事をしました。

その仕事の中で東京大学の学生さんを新卒採用のフローに乗せることにも成功しました。

新卒採用の説明会の会場設営や各大学に送る資料の作成と送付なども行いました。

どちらかというと、こちらが正規ルートの気がします。

§1度目の再発について

そのような仕事をやっていた中ではありますが、病気が再発してしまいました。

再発の原因は薬を徐々に減らしていったのですが、薬を減らすペースが速すぎたことと、最終的に薬を飲まなくてもいいとお医者さんに言われ、薬をまったく飲まなくなったことです。

それでも薬を飲まずにすぐに再発したのではなく、薬を飲まなくなってから1,2か月ほどしてから、あまり眠れなくなり、クラブに行って踊って途中で帰ってきて、数時間寝たりした後、まったく眠れなくなり、家にこもっていたら、宇宙の真理を発見したというような思いにとらわれ、自分の質量(霊的な)がとてつもなく大きくなり、外に出るとほかの人に悪影響があるから出てはいけないなどの妄想に取りつかれ、家から外に出なくなりました。

同時に食事が喉を通らなくなり、4日間ほど命の水と名付けたお茶だけで生活していました。

そのような異変に母が気づき、家まで来てくれて食べ物を食べさせてくれて、病院へと運び入院することになりました。

この再発の後薬の種類が変わったように覚えています。しかし、主治医の元に戻った後に、エビリファイに戻してもらいました。

これが2015年ごろのことだったと思います。

§2度目の再発について

再発をした後に、再び職場に戻ることができて、働き始めました。しかし、1年ほど働いたところで、徐々にまた薬を減らしていき、調子を崩していきます。

2度目の再発の前には宗教にはまっていました。日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)という宗教にも路上の勧誘から入ったことがあります。

2度目の再発の時には確か肉を食べられなくなり、野菜だけで生活するようになっていました。

日蓮正宗では肉は食べていいのですが、それとは別に肉を食べなくなっていた気がします。

様々な野菜をミキサーにかけてどろどろにしたものを飲んでいた記憶があります。

このころ、高校時代の友人たちから食事の誘いの連絡があり、それがしゃぶしゃぶだったので、肉を食べるのはけがれていると当時妄想していたので、友人にけがれていると言ってしまい、バスケ部の友人だったのですが、その友人たちを失ってしまいました。

これが2016年5月ごろのことだったと思います。

§初めての会社を退職する

2度目の再発の後、社内規定で長期欠勤の場合何十日か以内に会社に戻らないといけないというものがあり、それが達成できないということで、会社を退職することになりました。

ちょうど退院の日に会社を退職しました。

病気都合の退職ということで、ハローワークに行ったところ、雇用保険から、失業給付がすぐに出ました。

月に14万円ほど出ていたようです。

そのほかに蓄えもあったので、生活は送れました。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
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4 件のコメント:

  1. 人事の仕事をされていた最初の会社は、2回目の再発の時に辞められたんですね。
    私が勤めている会社にも休職可能期間があり、それに抵触すると、退職となります。
    また、復職後1年以内に再度休職した場合は、休職期間は通算されるので、復職後1年以内は再発しないか心配でした。私は復職して1年と5か月となりますが、部署が人事部に異動となり、仕事の負荷は軽減されておりますので、楽をさせてもらっております。

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    1. ずっきーさん、コメントありがとうございます。
      ずっきーさんの会社でも休職可能期間があるのですね。人事部に異動で仕事の負荷も軽減されて良かったですね。
      他にも人事部に配属された方がいるのを知っています。
      似たような状況の方が多いですね。

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    2. aoponさん、返信ありがとうございます。
      コロナ禍で出社が週に2回という現状にも助けられて、勤務を続けられております。毎日出社では勤まるか心配です。aoponさんもほとんど出社されていないようですね。在宅勤務、いいですよね!

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    3. コメントありがとうございます。
      週2回の出社なんですね。私は年に数回の出社です。これからはもう少し増えるそうですが。
      在宅勤務、いいですよね。もう毎日出社には戻れないです。

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